麻の着物

夏まで生きていようと思った。そう思いながらなんとか生きている人間の観劇とか読書の記録。

舞台『刀剣乱舞 結いの目の不如帰』京都公演感想

6/20 マチネ

すでに福岡・東京公演も終わったタイミングでなんですが、二度目に見た刀ステの感想を残しておきたいと思います。

なお、ネタバレあります。

 

初見の感想

ranfuyutsuki.hatenablog.com

 

 
明治座との演出の違い

花道やスッポンがないので、OP等々の演出が明治座とは異なります。この辺りどう変わるのかなと思いましたが、スッポンから登場する三日月は舞台奥からの登場でした。(OPも終盤のあのシーンも)

ただ舞台の奥からライトを背負って登場する三日月宗近はそれはもう美しく、これはこれでありだなと思いました。明治座で静けさを覚えた姿が、京都では神々しさに近い畏れを感じたような気がします。

花道についてはそのまま下手側通路での演出になっていましたが、京都劇場通路狭いんですね…。銀河劇場はあまり覚えていないんですが、シアター1010と比べると「狭っ!」という感じで、走るのはかなり大変そうでした。

2回目を見て

オリジナル舞台だと顕著なのですが、私はどうしても1回目は話を追う・理解するほうに頭を使うのか、あんまり感情が動きません。2回目を見てだばだば泣きだすんですが、今回の刀ステは完全にそれで、2回目にして「ここはこういうことだったのか」「何を想っているんだろう」と考えて切ない気持ちになるシーンがたくさんありました。

意外と胸に迫ったシーンは初見と変わらないのですが、骨喰が三日月を抱きしめるシーンは初演同様に切なく寂しかったです。

2回目を見て物語上気づいた点としては、燭台切が三日月に刃を向けたこと」はこれまで何度もあったことだけど「鵺が現れた」ことがこれまでもあったことなのかは明言されていないということでした。これまでの繰り返しでも燭台切が疑念を抱き、三日月が本丸を離れるという展開はあったとしても、きっかけになる時代や人や出来事は違ったのだろうかと思いました。

さらに印象論ですが、今回の刀ステにおける三日月の戦い方は優雅である以上に勇猛さも感じて、それは私のイメージする剣豪将軍としての足利義輝に重なるということを京都で見て気づきました。それほど戦国時代の歴史は詳しくないので、私の足利義輝のイメージは剣豪将軍という異名と苛烈な人であったというそれくらいです。ただ、ふっと三日月が足利義輝に重なる瞬間があったことが、足利義輝の刀として彼を守れなかったという三日月の無念さを強く感じて胸が締め付けられたのでした。

あと軽い話をするとマグロの歌が明治座と京都で変えてきたのが無駄な!変更!好き!

京都という地

物語の舞台で見るっていいもんだなあと。あまり物語の舞台を意識するような作品自体ない中で、過去の京都で起こった歴史を京都の舞台上で体感するというのは初めての経験でした。ちなみに観劇前に初めて本能寺にも行きました。

京都劇場は初めて行ったのですが、駅に近いし、席は固くないしいいホールだと思いました。また機会があれば行きたい。

歴史の終着点

前回の感想で書き忘れたのですが、私は山姥切が歴史の結いの目に触れて様々な時代を泳いでいくシーンが好きです。様々な時代を通り、おそらくはこれまでのどのメディアミックス作品でも原作でも触れられなかった現代に近いところも通過していたのだと思います。(飛行機の音が入っていたので)

そして最後に辿り着いた海辺。ここはどこなのかと山姥切は言いましたが、私は歴史の終着点なのだと思います。そして刀剣乱舞における歴史とは人の歴史ではないでしょうか。なぜなら刀剣は人が生み出したものだからです。だとすれば最後に辿り着いたあの場所に、もう彼らの主である人間は存在しないのかもしれません。だからこそ、この刀ステの中で唯一ではないでしょうか、主のためではなく*1互いのために三日月と山姥切は刃を交えます。それは、ただただ美しくて悲しくて、これが悲伝なんだなとすっと胸に入ってきたことを覚えています。

 

残りはライビュになりますが、大千秋楽が楽しみです。

 

 

 

*1:手合せについてはあくまで鍛錬をし、戦場で主のために尽くす一環だと思っています