麻の着物

夏まで生きていようと思った。そう思いながらなんとか生きている人間の観劇とか読書の記録。

わたしをつくるもの(「マレ・サカチのたったひとつの贈り物」)

私は演劇を見る人である前に本を読む人だったので、本の話を書こうと思っていた。思っていたのだけれど、いろいろあってなかなか読書に没頭する時間も取れなければさらにそれを噛み砕いて感想を書く気にもなれない日々が続いていた。

最近ようやく本を読む余裕が出てきて、久しぶりに大当たりの小説と出会ったので紹介がてら感想を記す。

いつもの観劇記録はネタバレ前回なのだが、今回はネタバレは控えめで(核心には触れず)いく。

 

 この物語の主人公、坂知稀(サカチ・マレ)は量子病という奇妙な病にかかり、気が付けば世界のあちこちに「跳躍」する運命にある。部屋のベッドにいたはずが、いつのまにか世界中の至るところに突然現れる。そしてまた彼女の予期せぬ形で再び跳躍する。そうやって彼女は安住の地はなく、常に世界中を旅している。

絶え間なく跳躍するマレに合わせて短いシーンが繋がっている。それぞれのシーンは短いけれども印象的な出会いばかりだ。

 

この物語は一言で言えば出会いと別れの物語だ。間断なく彼女は出会い別れていく。それを繰り返した果てに彼女は一つの結論に辿り着く。

 主人公であるマレには目的がない。何かを為そうとしているわけでもなく、量子病が否応なしに彼女を出会い別れさせる。彼女が透明な存在であるからこそ、彼女の出会う人々の姿が鮮明に表れる。

ある街でマレは老いた靴職人とその妻に出会う。店を畳むことを決めた彼らは最後の靴を彼女に贈る。

「人生なんかより、出会いのほうがずっと大きいの」

中略

「靴は、出掛けてゆく人のためにある」
 老妻は、言う。
「靴は、これから何かに出会う人のためにある」

ーー「マレ・サカチのたったひとつの贈り物」

 

おそらく作品の舞台は近未来をモデルにしているのだろう。経済状態が悪化し、祝祭資本主義と言われる熱狂で貧困などの社会問題を誤魔化しながら限界を迎えつつある世界。それは今の現代社会と地続きのように思える。ジャンルとしてはSFで、この現実よりも少し先にある未来という舞台設定はここ最近のSFでよく見る設定だと思う。

けれど私はこの小説をSFというよりもどこかファンタジックな幻想的な物語だと感じる。この物語にはマレと同じように少し不思議な現象を持っている人たちが出てくる。人の嘘が見抜けるという男や毎日容貌が変わる旅人。この物語はどこまでが事実でどこからが比喩なのだろうかとも思う。

さらにこの物語では固有名詞がほとんど登場しない。マレが出会う人々はほとんどが「画家」「旅人」「男」「女」といった普通名詞で語られる抽象的な存在だ。マレ自身も強烈な個性があるわけではない。けれど彼女がそのあやふやでつかみどころのない出会いから導き出した答えはくっきりと彼女の形を浮かび上がらせた気がする。

 

 あやふやな私たち。見守り、時間が降り積もり、あやふやなものが形になってゆく、この世界の本来。

ーー「マレ・サカチのたったひとつの贈り物」

 

最後にマレがたどりついた場所は読んで味わってほしいとしか言えない。この物語は最初から最後まで旅の物語であり、わたしが何を以てわたしと呼べるのか、という自己同一性へ一つの答えだ。

 

おまけのような話だけど、私はこの小説の読了感は西田シャトナーの「破壊ランナー」に似ていると思うので好きな方は是非。